日々の生活の中で、夫婦間のちょっとした一言がひっかかってモヤモヤすることってありませんか?
子どもが生まれてからよりナーバスになっていた私は、会話の中で、夫の言う「~でいいよ」という一言に常々モヤモヤしていました。なぜこんなにモヤモヤするのか考えてみた結果、「~でいい」と「~がいい」には決定的な違いがあるということに気が付きました。
日本語って難しいけれど、少しこだわればコミュニケーションがうまくいくかもしれないと、このところ思っていることを書いてみます。
日常生活の中で、1日を生きることは小さな選択の連続です。
本当にちょっとしたことなんですけど、人は無意識のうちにいろんなことを選択して生きてますよね。小さなことを書きだすとキリがないですが、夫婦での会話って2人でそれを決めることがすごく多いんですよ。その中で「で」を使われる度、私はちょっと心が折れてしまいます。
例にするとこんなかんじ。
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「お昼ごはん何にする?そうめんにする?ラーメンにする?」
「そうめんでいいよ」
はい、「で」がきました。そこで私はこう思います。
「(え…本当はラーメンがいいけどそうめんでいいってことなのかな。そうめんの方が楽だと思って遠慮して言ってるのか?それとも本当はどっちも嫌なのかな…他に食べたいものがあるならはっきり言ってほしい)」
「今日どこの公園行く?○○公園にする?△△公園にする?」
「んー、○○公園でいいよ」
はい、本日2度目の「で」で心が折れ気味の私はこう思います。
「(え…そもそも外に出かけたくないのかな。じゃあわざわざ行っても楽しくないよね…)え、行くのやめる?」
「は?なんで?」
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夫からしてみると、なんで急に「行かない」という話になるのか意味不明なのですが、私の中では「~でいいよ」の一言が発端でいろいろ考えてしまった末の発言です。
私が( )で考えてることをそのまま伝えたとしても、え、そんなに深く考えて言ってないけど…?となってしまって、私としては「あ…そう」と納得したつもりでも、また同じようなことがあると結局モヤモヤの繰り返しでした。
「~でいいよ」という返答は、私の中では妥協であり、仕方なくそうする的な意味合いが強いんですよね。これと同じく「別にいいよ」の「別に」もそれに当たります。
「~で」をつけることによって、本当は乗り気じゃないけど仕方なくOKされてるような気がするのがとても辛い。手抜きのそうめんだって、近所の公園だって、イヤイヤOKされてると思うと悲しくなる。
細かいことをいちいち気にする面倒くさい女だと言われてしまうと本当にそれまでなのですが、疲れてるときなんかは特に、自分で何かを決めることに疲れてることが多いので、消極的な選択をされてしまうとこっちとしてはさらに悩ましいわけですよ。「わかった…そうめんにするよ」と言いながらも、小さなイライラが積もってしまう。
しかも夫は全くそんなつもりはなくなんとなく言っているので、私が勝手にイライラしていても気付いてもらえるはずがない。
というわけで、何度も何度もそれは嫌だと伝えることにしています。分かっているの…自分がとても面倒くさいことは…!!!!分かっていますとも。
でもやっぱり「で」じゃなくて「が」を…「~がいい」を使ってほしい…!「が」じゃなくてもいいからせめて「そうめんにしよ」くらいにしてほしいのです…!
最近はあまりにも私が嫌がるので、以前に比べるとだいぶ「~でいいよ」や「別にいいよ」を使わないように気を付けてくれるようになったのですが、夫には夫の言い分もあるようで、「~でいいよ」というのは気遣いだと言うんですね。
まぁそれも分かるんですよ。
例えば上のそうめんの例だと、私が普段昼ごはんによくそうめんを食べていることを知ってて、私がそうめんがいいと思って「そうめんでいいよ」と言っていることもあるし、公園の例でも、○○公園の方が近いし行き慣れてて行きやすいから「○○公園でいいよ」と言ってるつもりなんだそうです。
「~でいいよ」には確かに、相手への気遣いや遠慮を表現する際に使われることもあるとは思います。「お金がかかるから安い方でいい」だとか「遠くへ行くのは大変だから近い方でいい」だとか。
だけど、ここでちょっと考えてほしいのは、相手に何かをしてもらう場合や、一緒に楽しもうとしていることに対して「で」を使うのは失礼なんじゃないかいうこと。遠慮しているつもりで「~でいいです」と言っていても、一緒に楽しみたいのにしゃーなしかよ!と思われるかもしれないし、相手の手を煩わせることに対して「~でいい」って言ってる時点で、なんか軽く見られてるなぁとも受け取られかねない。
それならやっぱり、相手のことを気遣うなら余計、私ははっきりと自分の意見を言った方がよいと思うんですよ。結果的に自分の思い通りになるかどうかは関係なく、自分の思いをちゃんと表現することこそ、実は相手のためになると私は思います。
少なくとも私は「そうめんでいいよ」と言われるよりも「そうめんがいい」「そうめんにしよう!」と言われた方が作る私としてはやる気になります。
作ってあげるよと言われたらさらに嬉しいけれどw
「でいい」と「がいい」には決定的な違いがあって、「~で」には遠慮や気遣いを表現すると同時に妥協的な意味合いも含まれます。一方「~が」ははっきりとした主張ですよね。
「で」は一見相手を気遣っているようにも見えますが、相手や状況によってそう受け取ってもらえるかは分かりません。遠慮や気遣いを伝えるなら他にも表現方法はあるし、自分の思いをちゃんと伝えるためには「が」の方が有効です。
「が」を使うことは、自分が決めることになるので、そこには責任が生じます。我儘に聞こえるのでは…と躊躇してしまうこともあります。自分の意見をちゃんと言うのって結構しんどいんですよね。でも、選択を他人に委ねることで、責任も一緒に相手に背負わせるようになってしまう。それって、日常のささいなことでもよくあって、それが積み重なるのってなかなかのストレスなんです。
話し合いの基本は自分の意見や気持ちをちゃんと伝えることです。その際になるべく相手を傷つけない言葉を選ぶのも大事だけれど。
「~でいい」「~がいい」の言葉の選び方もその1つだと私は思います。
これだけ言ってる私も「~でいいよ」は使ってしまうこともあります。夫は大らかなので言われても気にする方ではないのですが、私自身もできるだけ会話の中で「~でいいよ」をやめていきたい。子どもにも自分の気持ちはちゃんと伝えられるようになってほしいし、自分で決める経験はたくさん積ませたいです。
私と同じように感じている人がもしいれば、「こんな小さなことで…」と思わないで、一度ちゃんと伝えてみるとよいかもしれません。たとえメンドクサイ人だと思われたとしても…!!!!